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2023.11.13
CULTURE

『意志あるところに道はできる』を体現する冒険家岩崎圭一

人気テレビ番組「マツコ会議」やその他のメディアでも多く取り上げられる冒険家岩崎圭一。「人力で世界一周を目指す」という目的を達成するために、28歳のころから51歳になる現在に至るまで、日本に一度も帰らずに、自転車や手漕ぎボートを使って世界を回っている。レアゾン・ホールディングスは、その手漕ぎボートのスポンサーである関係性から、今回、岩崎さんに、「なぜ旅を続けているのか」「旅を通じて伝えたいテーマ」などを伺うに至った。

岩崎圭一さんは、1972年群馬県前橋市に生まれた。小さい会社を営む父親の元、中学生のころから仕事を手伝わされたという。「焼肉屋についているようなダクトってありますよね。あれを作る小さな会社を父親がやっていまして、それを手伝わされていました。それが嫌で嫌でしょうがなかったですね」岩崎さんは語る。

「とにかく『働く』ということに対して印象が悪かったですね笑。特に中学生の時なんか、友達が遊びまわっているのに、自分だけ家の仕事をひたすら手伝わされているっていう状況で、それが、旅を始める最初のモチベーションになったと思います」

岩崎さんは大学卒業後、実家の仕事を手伝い28歳の時に「お金よりも『自由な時間が欲しい』」という気持ちを優先し、突如としてホームレスになることを目指す。群馬県から東京は新宿へ、友人の車に相乗りして向かったのである。

「実は当初、ホームレスになれば、『お金の大切さ』が分かるんじゃないかと思ったんです。父親のいう通り、『働くこと、お金を稼ぐこと』の大切さが身に沁みれば、自分の考えも変わるのではないかと思って始めたのですが、2カ月間のホームレス生活、意外と生活できたんですね笑。それで、もう少し旅を続けてみようと思ったんです」

その後、岩崎さんはホームレスから旅人に代わっていく。いろいろなつてを伝って福岡から沖縄に向かい、その後韓国、中国、タイ、シンガポールなどを渡り歩いていく。

岩崎さんは、お金を稼ぐということに対して自分の中で一つのルールを持っている。それは、「ひと様のお財布から直接いただく」ということである。いわゆる、「こういう仕事をしてほしい」という仕事の請け負い方は絶対にしないのだという。「だってそれをやったら、最初から父親のもとで働いておけっていう話じゃないですか」岩崎さんは笑いながらそう話す。

「そういう仕事の仕方はやめようと思っていたんです。でもお金は必要ですから、最初は、拾ったビニール傘を売ったりしていました。これは、直接ひと様のお財布からお金を頂戴するので、自分的にはOKだったんですよね。そこからだんだんと、大道芸になっていきました。自分で磨いた芸を見てもらって、そこにいる人に喜んでもらい、お金をいただく。こういうお金の稼ぎ方が自分の中で主流になってきましたね」

その後も、岩崎さんの旅は続く。

シンガポールから戻る形でチベットを経由してインドに向かうのだが、基本的に、岩崎さんの旅は、期間がとても長い。いわゆる国に入国するということをゴールにするバックパッカーとは異なり、滞在期間が長いのである。

その理由は、とにかく「じっくり回って、じっくり現地の人と交流する」からだ。国土面積の広いインドでも、北のベナレスから入り東のコルカタ、その後西のムンバイやゴアを経由して、南のバンガロール、チェンナイ、最南端のカニャクマリまで練り歩く。

「実は、最初の海外であった韓国についたときは28歳の時で、30歳までには帰ろうと思っていたんですよね。ですけど、世界に一度行ってみたら、『こんなにいろいろなものが見れるんだ』『世界は広いんだ』という風にどんどん好奇心が広がっていって、すぐに30歳になってしまいましたね笑。そのあと、32歳でエベレスト登頂したころから、本格的に、『人力で世界を巡ってみよう』という気持ちが芽生え、40歳になったころには本格的に『行けるところまで行こう』と思い、年齢の制限すら考えなくなりましたね」

岩崎さんの話を聞いていると、「目標」というものは、好きなことを続けて具体的に行動していると、どんどんと広がっていくものだということが分かる。

岩崎さんはその後、インドの最南端から北上し、ネパールに戻り、そしてエベレスト登山に挑戦し、実現する。そして、「水の流れを追いかける旅」に進むのである。ネパールから再びインドに戻ってきた岩崎さんは、手漕ぎボートでガンジス河を下り、海に到達するという目標を決める。ベナレスのお茶屋でぼろぼろの手漕ぎボートを購入し、水没や強盗などを経験しながらも実現する。その後、アフガニスタンからイランに入り、カスピ海横断を実行。これも手漕ぎボートで、である。

なぜこんなにも破天荒な冒険ができるだろうか。

日本の人気番組「マツコ会議」でも、ご両親が出演されておられたことから、両親について聞いてみた。冒頭、図らずとも、「働くのが嫌だ」という旅のモチベーションを与えてくれた岩崎さんのお父さんのことも、改めて語ってくれた。

「実は私の父も、若いころ世界を回りたかったらしいのです。父は7人の兄弟の長男で、家族を養うために小さいころから働くということをしなければならなかった環境から、それが実現できなかった。だから、今の自分を応援してくれているのだと思いますね。また、『自分の頭で考えろ』というのも父の口癖でした。それに、母もけっこう珍しくて、普通日本人て、周りに合わせろっていう人が多いかと思うんですが、うちの母は『ほかの人と違っていい』と私に教えてくれていました。この父と母の教えがあって、今も旅を続けていられるのだと思います」

「世界はどんなところなんだ?」「手漕ぎボートで大海を横断したらどんな気分なんだろう」という単純かつ強い自身の疑問を解消するために、納得するまで動き続ける。岩崎さんの旅を続けるモチベーションの源泉には、ご両親の教えが色濃く影響しているのだろう。

その後、岩崎さんはトルコからイスタンブールに入り、その後ヨーロッパに入ることになる。ドイツ、オランダ、フランスを経由してイギリスに入る。旅の当初からそのころに至るまで大道芸を生業にしていた岩崎さんに大きな転機となる出来事が、ここで起きる。

ヨーロッパ各地の路上で芸をするようになって8年がたった2015年6月。イタリアはローマの繁華街トラステヴェレ地区で大道芸をしていた時に、人気番組「ゴット・タレント」のスタッフにスカウトされるのである。そのままイタリアズ・ゴット・タレントに出演し、大反響を得た岩崎さんは、スペインのゴット・タレントにも応募、出演後、審査員4人全員合格を得て出演。決勝戦まで進出し、敗退したものの、これがその後のブリテンズ・ゴット・タレントに出演する流れを作る。

時は2020年、新型コロナウイルスによるパンデミックに世界が見舞われており、岩崎さんは路上での芸ができなくなってしまい、全くお金を稼ぐことができなくなってしまった。

新たな目標である「大西洋横断のための手漕ぎボート資金」が欲しかった岩崎さんは、ゴット・タレントの本家といえるブリテンズ・ゴット・タレントのオーディションに参加することになる。そこでも様々なトラブルに見舞われるが、結果的に、なんとゴールデン・ブザー(各審査員がシーズン中に一回だけ使える準決勝に直接進めるボタン)をゲット! ゴールデン・ブザーは、「運命を変えるボタン」と言われている。つまり、人生を変えてしまうほどの影響力を持っているのだ。

事実、岩崎さんにはその後、SNSを通じて世界中から多くのメッセージが送られてきた。公式ユーチューブの再生回数は1日で200万再生、2日目には350万再生、facebookページ内の動画は、一日で1000万再生、最終的には2.5億回を超えた。

その後、弊社レアゾン・ホールディングスがスポンサードを提案し、現在の関係に至っている。

まだまだ岩崎さんの旅は続くが、2023年11月現在イタリアにおられる岩崎さんは、現在でも道に立ち、一日も休まずに大道芸を行っているという。

「道中、本当にいろいろな人にお世話になって、心境が変化してきたんです。たとえばチベット、ヒマラヤを自転車で超えている時も、自分の力では水いっぱいすら飲めないんですよね。社会って、いろいろな人のいろいろな仕事によって成り立っているんですよね。そうなると、自分にできることは何か。これはやっぱり、芸を通じて人々を笑顔にしたいんですよね。これからも旅を続けながら、多くの人を笑わせていきたいと考えています」

余談だが、インタビューの最後で、「旅の中で大きなトラブルに見舞われたことはないか?」と質問した。普通に海外旅行でも様々なトラブルに見舞われるので、岩崎さんのような冒険に近いことをしていると、あらゆるトラブルに見舞われているだろうと考えたからだ。

しかし、岩崎さんから戻ってきた答えは「あまり悪いトラブルはなく、逆にいいトラブルしか記憶に残らないんです」というものだった。

「世界をめぐってみて、『人間てけっこう一緒だな』、『人間てみんな暖かいな』という印象が強くあります。それは確かに、差別的なことをいう人や下心のある人もいるにはいますけど、それを含めて世界。『笑顔で向かえば世界は優しい』んです」という岩崎さんの言葉がとても印象的だった。

「意志あるところに道ができる」

岩崎さんは旅を通じて、これからもこの言葉を体現していく。

なお、2023年6月21日、岩崎さんの著書である『無一文「人力」世界一周の旅』が幻冬舎より発行されている。
興味のある方はぜひ一読されてはいかがだろうか。
https://onl.tw/VERFMzR

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EDITOR / HIROKI TAKAHASHI

1982年生まれ、金融経済新聞社にて編集記者として記事執筆やラジオNIKKEIでのマーケットアドバイザー業務などを経験。その後、コンサルティングファームにて経験を積んだのちに独立。2023年、レアゾンホールディングスにジョイン。

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1982年生まれ、金融経済新聞社にて編集記者として記事執筆やラジオNIKKEIでのマーケットアドバイザー業務などを経験。その後、コンサルティングファームにて経験を積んだのちに独立。2023年、レアゾンホールディングスにジョイン。

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